ーー以下の募集は終了しましたーー
ひきこもり生活を送る方が
ご自身で撮影した
部屋の写真を募集しています!
・ひきこもり当事者自身で撮影した部屋写真を募集中(2018年9月現在)。
・ご本人以外からの投稿は受け付けません。
・写真は誰のものか分からないよう匿名性を守ります。
・ご協力いただいた方には撮影費(謝礼¥3,000)をお支払いします。
・撮影はスマホでも。カメラが無い場合使いすてカメラをお送りします。
・ひきこもり元当事者の現代美術家によるアートプロジェクトです。
・締切は2018年12月1日(募集人数40名に達し次第締切)。
自身も3年間ひきこもり経験のある現代美術家・渡辺篤が中心となり、
ひきこもり当事者自身で撮影した部屋写真を匿名で募集中。
現代アートの手法を用いて写真集を作る。
プロジェクト名の「アイムヒア」は、“僕は/私はここにいる”という意味を持つ。
“見えない問題”を“無い”ことにしないために。
募集企画は今回で2度目となります。
2014年にも行い当時とても大きな反響がありテレビ・雑誌などでも紹介されました。
今回は写真集出版(2019年2月頃)に合わせ写真展(横浜市内)も開催予定。
部屋の写真はそれぞれの方にとって様々なご事情をまとった大切なプライバシーです。
使用規定をお一人ずつのご希望に沿い、丁寧に合意を得ながら進めさせて戴きます。
ひきこもった時間が価値となるように、アートの側からも社会に向け発信したいと思っています。
当事者の方によるお写真ご提供どうぞよろしくお願いします。
情報周知のご協力もよろしくお願いします。
「アイムヒア プロジェクト」代表
渡辺 篤(現代美術家)
■「朝日新聞デジタル」で紹介されました。(2019.02.01)
■「NHK NEWS WEB」で紹介されました。 (2018.11.01)
■「ひきこもり新聞」2018年10月号(第10号)で紹介されました。(2018.10.27)
■募集を行う現代美術家の
ひきこもりの経緯と
復帰後の活動開始までの事情
横浜市に住む、現代美術家の渡辺篤です。
私は幼い頃から絵を描くことが大好きで、長い浪人の末に芸術大学に進みました。
しかし、学生を終えた直後から私は足かけ3年に及ぶ、ひきこもりになってしまったのです…。
《プロジェクト「あなたの傷を教えて下さい。」》コンクリートに金継ぎ、塗料/© 2016 Atsushi Watanabe
“ 自分の部屋だけが居場所だった ”
ひきこもりの理由は在学中からの鬱や、結婚を約束していた人からの裏切り、参加していた市民運動からの排除、卒業して美術家として進んでいくことのプレッシャーなどでした。また、当時暮らしていた実家にも居心地良さがなく、理由は父にコミュニケーション障害の可能性があるからです。幼い頃には理不尽な暴力を受けることもあったのです。考えてみると、理由の多くは「居場所の喪失」に繋がるものでした。
ひきこもり始めた当初は、自分が「ひきこもり」という状態になっていることには気付きませんでした。いつの間にか自分が安心できる居場所は世界で唯一、自分の部屋だけになってしまったのです。
“ ひきこもりの日々 ”
社会の風潮や自分を傷つけた者たちを恨みつづけながら社会から消失し、人生を自ら台無しにしてしまうことは、彼らへのあてつけになるのだとも考えるようになっていきました。意思の通い合えない両親とは顔を合わせることすらしたくなくなり、空腹になると、深夜に台所へ行き食料を漁りました。
カーテンを締め切った部屋は徐々に荒れ果て、風呂に何ヶ月も入らない生活が続きました。伸び放題の髪の毛はバターを含んだように重たくなり、体型はどんどん太っていきました。ずっと寝たきりだったので、たまに起き上がると立ちくらみがしました。そうした一つ一つの変化は自暴自棄の体現なのです。無闇に社会性を維持したりしていては駄目なのです。潔く、深く深く絶望に向かい、救われれうる可能性を消していかないと辛かったのです。そう簡単には後戻りできない道を進んでいるのだと思っていたのですから。
私にとってのひきこもりは、「退避」であり「自傷や自暴自棄」であり、あるときは「ゆっくりと長い時間を掛けて行い続けている、血の流れない自殺」のような感覚でもありました。
“ 蹴破った扉 ”
ひきこもっていた私にとって、もはや自分自身ではその状況から脱することができなくなっていた頃、頼みの綱は母の存在でした。けれど、母自身による想像を越えた困難には認識が追いつかなかったようで、手をこまねき、当初は「助けたい」と言ってくれてはいたものの、結果的には何ヶ月も扉をノックすらしてくれない日々が続きました。
やがて私は母からも見捨てられたと感じ、いよいよ一生この部屋から出ずに死んでいくのだと覚悟し始めました。しかし、心の深い底には、僅かながら自然と湧き出る怒りもあったのです。同じ家の中で社会的撤退を今なお続けている息子を助け出してくれない母に対して、段々と恨みの感情が芽生えていき、ひきこもった当初の、社会への恨みから矛先が意向し、母への怒りも高まっていきました。
ひきこもってから随分と月日が経ったある日、私の怒りはいよいよ爆発して、母の居るリビングの扉を蹴破ったのです。「扉はこうやって開けるんだよ!!」と怒鳴りました。それは、困窮した息子を放置し続ける、母に対しての必死のアピールのつもりだったのです。
《ドア》コンクリートに金継ぎ、塗料/「黄金町バザール2016」にて/Photo by Keisuke Inoue/© 2016 Atsushi Watanabe
しかし、そのことは私の思いに反し、状況をますます悪化させました。物音を聞き付けた父は、家に迷惑物の怪獣が現れ、その悪を成敗するために現れたヒーローかのように振る舞い、とはいえ結局は自らではどうすることもできず、警察を呼びました。
“ 母の痛み と ひきこもりの終わり ”
父は、私がひきこもり始めた前も後も、息子が何に悩み、何に絶望しているのか興味すら持ちませんでした。父は〈強制的にひきこもりを部屋から連れ出し施設に入居させる会社〉をインターネットで見つけだし、連絡を取り始めました。そのことをようやく扉の前まで来た母が伝えていったのです。いよいよ私は、自らの意思でひきこもりを続けていくことすらできなくなってしまいました。
けれど、母に不満をぶつけて扉を壊した日、実は私は母の弱さにも触れていたのです。居間には見慣れない本が何冊も積んでありました。ひきこもりについての専門書を手に入れ、私の心を知ろうと自分なりの努力していたようでした。私はそのことで、扉の向こうに存在する母の痛みにも気づいてしまったのです。それはひきこもりの子を持つ親としての「もう一つの当事者性」とも言えるのかもしれません。またその頃、意思の通じ合えない夫を持つ、妻としての心の傷についても改めて気づいてしまいました。
《わたしの傷/あなたの傷》インスタレーション| ビデオ/© 2017 Atsushi Watanabe
切羽詰まった私はいくつかの選択肢を考えました。
1, このまま窓から部屋を飛び出し、
その瞬間から路上生活者として生きていくこと。
2, 父の思い通りに人生を支配され、恐怖の施設で、
もしかしたら身体拘束をされて自由を奪われながら生きていくこと。
3, 母の痛みに寄り添いながら生きていく
(ひきこもりを辞め、父との生活にも苦しむ母に寄り添う)こと。
私は自ら3つ目の選択肢を選びました。散々永くとらわれ(怒りや不安や悲しみや寂しさや諦めや、、)に苦しんだ果て、シンプルな選択になってしまいました。その日から心のとらわれはスルスルと抜けていったのです。
“ 記念日の写真撮影 ”
部屋を出る決意の日、私は母と何時間も対話しました。久しぶりの発語で、喉はすぐに枯れました。狭い部屋の中、ひとり何に苦しみ、何に怒りを募らせ、どんなに寂しくて不安だったのか。たくさん考えていたことを伝えました。母も自分が考えていたことを伝えてくれました。息子にできなかったこと、夫との家庭の中での辛さ。互いに嗚咽して泣きました。それぞれに、苦しくて苦しくてつらい日々だったのです。
対話が終わった直後、私は酷く散らかった部屋の中から、一眼レフのカメラを探し出し、三脚を立て、自らの姿と部屋の様子を撮影しました。
何ヶ月かぶりの鏡を見るのは、恐ろしかった。心のどこかで私はとんでもない化け物になってしまったのではないかとも思っていたから。確かに、髭も髪も伸び放題で汚い。メガネも真ん中で折れて壊れてしまっている。ただ、直視した自分は、思っていたよりも「人間」でした。
《ひきこもりをやめた日》/© 2011 Atsushi Watanabe 3点とも
“ 美術家としての再起へ ”
もし、ひきこもりを辞め社会復帰することになったとしても、一般の職について生きていくことを私は考えられなかった。美術作品を作って生きていくことしか私が活き活きとできる道は無いだろうと感じていたのです。美術どころか人生にさえ挫折をしてしまい、いよいよ後のなくなった私は、社会的にネガティブな意味を持った永い永い月日を、ぐるっとひっくり返し、ポジティブな価値として芸術に昇華させる必要性があったのです。
またその時、私は荒れた部屋の様子も写真に収めた。室内には尿の入ったペットボトルや食べかけの物などが散乱して非社会的な状況が出来ていました。写真には、現世を諦めた者の気配が醸し出す独特な空気が漂っています。絶対に人に見せられない状態を作ることで、外界を遮断していた部屋。写真を撮るということはその眼差しによって、対象をありのままに認めることでもありました。
このとき撮った写真は、美術家として再起して数年後の個展で発表することとなります。
《ひきこもりをやめた日》© 2011 Atsushi Watanabe 4点とも
撮りながら、私はこう閃きました。
永い永いひきこもりの時間は、
この“写真作品”を撮影するために必要な
「役作り」や「場作り」だったのだ。
と、認識を変えることにしたのです。
永い時間をかけないと撮ることはできない、そして世界中で私にしか撮ることのできない、貴重な写真だ。と認識を変えることにしました。ひきこもりった時間は制作期間だったのだと。
アートは不可視の価値を作り出すことが出来る。もちろん、これらの写真は、汚い容姿で、汚い部屋ではある。しかし、ただそれだけ、ではない。それまで、閉ざされていた”ブラックボックスの内部”で密かに蓄えられていた様々な感情や、その中だけで完結していたその生活の在り方は、現代の社会の中で人が生きていくことの困難さを写し出します。そして、それを自分自身で撮るファインダー越しの眼差しは、社会への抵抗であり、自分の人生の奪還でした。そのことを客観視し、「生へのリスタート」を表す写真なのです。後の個展では、様々な立場の方々に評価を戴きました。
《止まった部屋 動き出した家》インスタレーション、パフォーマンス/Photo by Keisuke Inoue/© 2014 Atsushi Watanabe
“ 当事者経験を根幹に、他者と繋がる ”
美術家として復帰してから2年後、私は自身のひきこもり経験を発端とした個展「止まった部屋 動き出した家」(2014年、NANJOHOUSE、東京)を開催しました。展覧会場中央には、コンクリート製で1畳サイズの家の形の造形物を作り、その中に私自身を1週間密閉させたのち、自力で中からカナヅチを使い叩き割って出てくるという過酷なパフォーマンスを決行。それは一歩間違えれば命の危険が及ぶ行為でもありました。会期中、飲食も排泄も睡眠も全てその小さな空間の中で行いました。
準備に半年をかけて髭を伸ばし、服装もひきこもりをやめた日と同じものを身に着け、再現して取り組みました。コンクリートの5センチにもなる厚さ、ひんやりと色彩の無いその箱に囲まれ、生命のリスクすら及ぶその状況をつくり、自身の経験したひきこもりの当事者性を表したのです。
また、山岳修行における「擬死再生(一旦死んで生まれ変わること)」や仏教由来の「内観」にも通じるものとして、“とらわれからの再生”を表現しました。
《止まった部屋 動き出した家》インスタレーション、パフォーマンス/Photo by Keisuke Inoue/© 2014 Atsushi Watanabe
“ ひきこもりの部屋写真を募集 ”
この展覧会の開催1ヵ月半ほど前から私はインターネットを通じてひきこもり当事者に向け、写真の募集を行いました。ひきこもっている部屋の写真を匿名で送って欲しいという呼びかけです。自身のひきこもり経験を赤裸々にブログで告白し、同じような境遇に居る人達にも向けたその呼びかけは、それまで興味や知識の無かった人たちをも巻き込み、大きな反響を集めました。募集ページには1週間で約6万アクセスがあり、結果的にひきこもりの方々から約60枚の部屋写真が送られてきました。
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【2014年当時のメディア掲載記事】
▶「ひきこもりの部屋がアートになる!?
元当事者の芸術家が部屋の写真を募集中!」 (池上正樹|DIAMOND online / Yahoo!ニュース)
▶「<ひきこもりの部屋> 写真集めて展覧会」 (今一生|オルタナS / Yahoo!ニュース)
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自閉したその長い時間や生活の様子は、アートの構造を用いたとき、鑑賞者の興味深い対象にもなりえます。それは単なる興味本位なまなざしだけでなく、社会問題として、もしくは鑑賞者自身の経験とも重ね合わせながらひきこもり当事者の方々の生活を通して他者の痛みを知りたいという気持ちを生み、そしてそれは現代美術作品としても充分に強度のあるものになるだろうと考えました。
《ひきこもりの人達から送られてきた部屋写真(一部)》2014年 7点とも (※無断転載禁止)
展覧会は反響を呼んで盛況となり、様々なテレビや新聞などでも紹介されました。なにより驚いたことに、事情を聞きつけた多くのひきこもりや部屋写真を送ってくれた方々が何人も会場に足を運んでくれたのです。
私の、そして多くの人たちのひきこもっていた時間が、アートの持つ機能を通して新たな価値を作った瞬間でした。
…個人の痛みや生きづらさ一つ一つを直視せぬままで、社会の改善や是正はありえません。
だからこそきっと、当事者経験からの視点は貴重なのだと思います。
私がひきこもりの方々から部屋の写真を募集したプロジェクトは、社会をより良く変えていくことが目的です。
昨今、ひきこもり問題を扱う界隈では、当事者視点を発信する媒体が徐々に増えて、徐々に盛り上がりを見せてきました。
当事者経験の発信は、生きづらさを社会から減らしていくために大事な一歩だと感じています。
ぜひ、ひきこもり生活を送る方からの部屋の写真をお送り頂きたいです。
渡辺 篤
■Q&A■
Q&A形式の「ルールと規約」です。
Q,1「なぜ、ひきこもりの部屋の写真集を作るの?」
→ひきこもり問題は日本において150万人を超え、大きな社会問題になっています。多くの人がひきこもらざるを得ないほど、この社会には生きづらい事情がたくさんあるのだと思いますが、そこには未だ当事者の事情への理解の無さを理由とした差別や偏見もあります。当事者の言葉が聞きづらい、存在が見えづらい問題なので、社会に生きる多くの人にとって、将来自分も経験しうる問題だという想像も弱いと思います。
とはいえ、例えばテレビ局がその存在を、暴くように映すことは「映像の暴力」にもなりえます。これまで、マスメディアによる報道倫理が問題となってきました。支援会社を名乗る人権侵害的な行為を賛美して扱い続けてきたのです。
当事者自らが主体的にシャッターを押し、アートの文脈の募集システムを利用し発表がなされることは、この問題への批判にもなりえ、またひきこもりにまつわる問題を社会全体で考えていくきっかけになると考えています。
撮影及び写真の提供に関して、強要は一切しません。あくまで、このプロジェクトの意思に賛同した方からのみ写真をお受け取りします。
Q,2「カメラを持ってません」
→カメラをお持ちでない方の場合…使い捨てカメラを郵送します(住所/氏名をお伝え頂くことになります)。
<もっと読む>
Photo by Keisuke Inoue
アイムヒア プロジェクト 代表
渡辺 篤 | Atsushi Watanabe
【プロフィール】
現代美術家。ひきこもりを終える経緯で自身の姿や部屋を写真撮影した。”永いひきこもりの時間は、無駄な時間ではなく、この写真作品を撮影するために必要な「役作り」や「場作り」だったのだ。”と意図的に認識を切り替える試みを行い美術家として復帰。後に様々な展覧会で写真を発表。アーティストの立場から、心の傷にまつわるテーマで近年活動を続けてきた。「ひきこもり新聞」2018年5月号に当事者手記が掲載。「アイムヒア プロジェクト」代表。
作品発表以外では、当事者経験や表現者としての視点を活かし、福祉番組「ハートネットTV」(NHK Eテレ、2018年〜)などのテレビ出演や、雑誌・新聞・webに執筆多数。
渡辺篤ウェブサイト:https://www.atsushi-watanabe.jp/
1978年 神奈川県 横浜市 生まれ
2007年 東京藝術大学 美術学部 絵画科油画専攻 卒業
2009年 東京藝術大学大学院 美術研究科 絵画専攻(油画)修了
2010年 7ヶ月半自室からほとんど出ない生活を送る(2011年まで)
2013年 ひきこもり生活から美術家として復帰、以後精力的に活動を続ける
【主な展覧会】
〈個 展〉
2017 「わたしの傷/あなたの傷」六本木ヒルズ A/Dギャラリー、東京
2014 「止まった部屋 動き出した家」NANJO HOUSE、東京
2014 「ヨセナベ展」Art Lab AKIBA、東京
〈グループ展〉
2017 「藝「大」コレクション パンドラの箱が開いた!」東京藝術大学美術館、東京
2016 「黄金町バザール 2016 −アジア的生活」黄金町、神奈川
2009 「ASIA PANIC」光州ビエンナーレホール、韓国
2008 「チバトリ」千葉市美術館、千葉
【その他】
2018 「アーツコミッション・ヨコハマによるクリエイティブ・インクルージョン活動助成」に採択。
2016/2017 「アーツコミッション・ヨコハマによる若手芸術家育成助成」に採択。
2016 「ARTISTS’ GUILD」加入。
■これまでの活動の主なメディア紹介
【掲載・出演】
〈w e b〉
〈書籍/雑誌〉
〈テレビ〉
【執筆・寄稿】
主催:アイムヒア プロジェクト(代表:渡辺篤)
助成:アーツコミッション・ヨコハマ
協力:黄金町エリアマネジメントセンター、R16スタジオ
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<写真募集>
アドバイス協力:ひきこもり当事者・元当事者の方々、ひきこもり当事者活動・支援活動をしている方々、丸山康彦、Jonathan Livingstone、木村ナオヒロ、
杉崎栄介(ACY)、神久美子、杉本克也、植田工、Chiyo Arae、H.A、T.O、T.U、K.S、S.K、国立五天「ヒキコモ〜生きづらさ×アート〜」参加者の方、他(順不同)
広報協力:『ひきこもり新聞』、『ひきポス(HIKIPOS)』、『NHK NEWS WEB』
写真募集チラシ配布:「ひきこもりフューチャーセッション: 庵 -IORI-」、「フリフリフェスタ 2018」
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<写真集>
撮影|ひきこもりの人々(2014年、2018年)
解説|天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野 主席学芸員/札幌国際芸術祭2020 統括ディレクター)
編集|アイムヒア プロジェクト
デザイン|川村格夫
フォトリタッチ・フォトディレクション|井上圭佑
発行者|アイムヒア プロジェクト(代表 渡辺篤)
日本文校正|秋山直子
英文校正| Sam Stocker
英文校正アシスタント|新江千代
助成|アーツコミッション・ヨコハマ
<展覧会>
制作協力:植田工、駒木崇宏、土屋信子
協力:黄金町エリアマネジメントセンター、R16スタジオ